「Transistor とAtomic Bomb」

「ミシガン湖畔リッジ通りから」ーー牧師の月ごとエッセー
2020年2月
 アメリカの日系人は2月19日を「Remembrance of Japanese Internment Camps日本人の強制収容所送りの記念日」として記念行事を行っている。1941年12月8日はパールハーバー、1942年2月19日には日本人排斥のルーズベルト大統領の命令が出ている。3年後の1945年8月には世界で初めての原爆投下によって、8月15日には終戦になった。一見関係の無い原爆とトランジスターは実は関係があったのである。
 1956年に3人のアメリカ人学者がトランジスターの発明の功績でノーベル賞を受賞した。その10年前に3人はチームを作り、東海岸のベル電話会社の研究所でトランジスターを発明したのである。リーダー格の学者の名前はWilliam Shockley ショックレーでトランジスターの発明となるとまず彼の名前があげられる。アメリカのMITを卒業した物理学者である。この人物は頭脳明晰であることは間違いないが人格が歪んでいた人物で、名誉欲が強く、他人を蹴落としても自分の功績を主張するのである。3人のチームと言っても自分だけの功績を主張し、仲間と喧嘩別れをして、1956年にアメリカを横断して西海岸にやってきてトランジスターの会社を起こした。まだ海の物とも山の物ともわからないのに、そのニュースに好奇心を燃やしたふたりの日本人青年がトランジスターの特許使用を申し込んできた。井深大と盛田昭夫である。二人はソニーのトランジスターラジオを開発作成し、世界に売り出した。おかげでトランジスターは世界の花形の産業となり、ショックレーの研究所の場所もシリコンバレーと名乗り、大いに繁栄し始めた。ここまで盛り上がるとまたまたショックレーの悪い癖が出た。名誉を独占し、また仲間割れである。ショックレーは家族とも仲たがいし、彼が死んだときは家族は新聞のニュースで彼の死を知ったとかのエピソードが残っているくらいである。晩年は人種差別主義になり、自分のような「優秀な人種」が残るように自分の精子を精子銀行に預け、それを公言して周りの人々を当惑させている。
 このショックレーはトランジスターの研究を始める前に、アメリカ軍のレーダーの研究をしていた時期があった。35歳ぐらいの時である。よほど信頼されていたのでしょう。軍の研究部はショックレーに「日本と最後の決戦の時が近づいて来ている。もしアメリカ軍が日本に上陸したとき、日本の反撃でどれほどのアメリカ軍を失うことになるのか計算して欲しい」と依頼したのである。どのような計算をしたのかわからないが、彼は1945年7月に「日本軍も必死だから容易に降参しないでしょう。4百万人のアメリカ兵の死傷者が出るでしょう」と答申したのである。軍は検討し、そんなにたくさんのアメリカ兵の死傷者が出るのは困る、1か月前に出来上がった原爆の使用許可を申請しよう」となったのである。その後でショックレーはベル電話会社の研究所でトランジスターの研究を開始したのである。ショックレーと言う人物を通して日本の花形産業のトランジスターと日本の呪いの原爆と言う二つ物が結びついたのである。
 米兵の犠牲を少なくするために原爆を使用した、だから日本への原爆投下は正しかったと言う議論はときどき聞くことがあるが、アメリカの西海岸の福音派の大物牧師が説教中で引用しているのを聞いたときには驚いた。この人気牧師が日本への原爆投下はアメリカ兵の死傷者を少なくするためであったから正しい理由があったと公然と弁護するくらいだからアメリカの福音派は原爆投下に関心を持つことが少ない、あるいは無いと言ってよい。