「2020AD、我らの主の年」

「ミシガン湖畔リッジ通りから」ーー牧師の月ごとエッセー  2020年1月
 日本では12月24日のクリスマスイブが終わると翌日にはデコレーションは片づけられ、正月の準備に取り掛かる。クリスマスは日本の文化に根付くことはなかったようだ。シカゴの郊外では無言の常識として、Twelve Days After Christmas 12月25日のクリスマスデー以後12日間クリスマスとなっている。12日経って1月6日のエピファニー(公現祭)で終わることにしている。その後クリスマスツリーは片づけ始め、それも決まっているわけではないので、家庭によってはツリーは2月になっても片づけない。クリスマスの電気も雪の中で輝いているが、寒いので片づける気にならないのである。雪が消えるころになるといつの間にか庭のクリスマスライトも消えている。アメリカの新年はいつの間にか始まるのである。
 新年の区分がぼんやりしているのは、シカゴはいろいろな人種がいるので彼らが自分のカレンダーで年の最初の日を決めるので新年がいつ始まるのか人によって違うからである。ユダヤ人は9月ごろ新年を祝い、ユダヤ暦では2020年は5781年であり、旧約聖書の創世記の天地創造から数えるのである。中国人はアメリカでも2月に大掛かりな元旦の祝いがある。日本だってかつては「皇紀はBC600年から始まる」としていた。アメリカのカレンダーは国が始まってから240年くらいにしかならない。ちょっと気が引ける。
 このBCとはいったい何のことかと言うとBefore Christ の頭文字を取っただけである。ではADは何のことかと言うと After Deathと勘違いをしているアメリカ人がいる。これは間違い。AD はラテン語でAnno Domini で英語ではIn the year of our Lord となる。「我らの主」と名乗る王様が君臨してから何年になる、と言う数え方である。「われらの主」とはキリストを指す。2020ADの意味は「キリストという王が君臨してから2020年経つ」と言う意味で、キリストの支配を認めていることになってしまう。キリストという王は2020年も支配を続けている王様なのである。こんな長生きの王様はいない。宗教的な意味があるのでキリスト教を敬遠したい人々は2020 C.E. (Common Era) と言う元号を使うようである。
 イエス様が生まれたとき、新しい王が生まれたのでAD1年とする、と言うような新聞のニュースはなかった。イエス様は一人の人間としてそっと歴史のなかに入ってこられた。十字架の死と復活によって人々の心を支配し始めた。私たちは時間の流れを人生の大事件によって数える時がある。「結婚後何年」「子供が生まれてから20年」と人生の大事件を起点として数えるのである。キリストが人間にとって大事件だった、とわかったのは9世紀ごろのことで、歴史の中心がキリスト中心に移行した。9世紀もかかってキリスト王の歴史の支配を認めたと言える。
 明治政府がAD, BCのキリストカレンダーを使い始めたが、賢い人がいて「キリスト暦」とは呼ばず、「西暦」と呼ばせ、キリスト暦の真意が見つからないようにした。これによってキリストは現れず、ヨーロッパの暦を使っているように見せたのである。さすが日本人は賢い。日本人はキリストに対して用心深いのである。本音を言えばAD、BCカレンダーは使いたくないのである。欧米で使われているから便宜上使っているだけである。便宜上とは言え、AD,BCを使う限りはキリスト暦の影響、つまりキリストのと言う王の影響を受けないわけにはいかない。歴史の皮肉である。