「寒さの中の黙示録」

 1975年11月3日に私は車の修理工場にいた。シカゴの北の郊外の神学校に入学して間もなく車を買った。中古の車だからすぐに調子が悪くなったので、近くの修理工場に持っていき、修理の完成を待っていた。すると鉛色の空からチラチラと雪が降り始めた。私は関東地方の人間だから11月に雪が降ると言う体験は無かった。「ずいぶん寒いところにやって来たものだ、これからやっていけるのかしら」と心細くなった。シカゴの11月は日照時間も短くなり、空は灰色で憂鬱な季節である。
 あれから44年。落ち葉の季節になり、今年の冬はどうなるのか、気になり始めたところ、今年はなんと10月31日に雪が降って来た。普通は木の葉が落ちて緑を失った、枯れた木々に白い服を着せるようなタイミングで雪が降ってくるのに、今年はなんと1週間も早い雪の到来である。緑の着物の上に白い着物を着せられてしまうと枝は重さに耐えかねて、大きく曲がってしまう。ここもかしこも木々は曲がってしまって、苦しい苦しいと言っている。凍り付いた木の葉は朝日が上がって温度が上がると氷が解けて、すると木の葉は落ち始めた。銀杏の木の葉は雨のように絶え間なく落ち続け6時間で丸裸になってしまった。空を覆っていた緑の木の葉は無くなり、空が丸見えになった。生きている緑を一瞬にして死の世界へ追いやってしまう自然は残酷である。
 10月の雪は副作用もある。10月下旬にはシカゴの多くの庭はハロウイーンのデコレーションで飾られている。飾ると言っても自分の庭を墓場のように飾っているというグロテスクな飾りである。雪は遠慮なくその上にも降り、白一色にしてしまった。ハロウイーンは起源はキリスト教会の聖徒の祭りだったけれども今では飾りの内容もお化けや幽霊の祭りとなっている。その上を遠慮なく白色ブランケットでカバーしてしまったのでかえって良かったのかもしれない。
 11月1、2日は雪が降り積もり、年内で一番寒い月の1月の天気のようになったしまい、「シカゴの天気は悪い」という評判を裏書きしてしまった。昔し私の担当教授はドイツ人だった。「どうしてドイツでは神学が盛んなのですか」と尋ねると、「ドイツの天気が悪いからだ。天国でも想像しないとやっていけないからだ」。なるほど、そういえば17世紀のジョン・バニヤンの「天国への旅」は迫害の牢獄の中で書かれたし、ヨハネの黙示録もパトモス島で幽閉の身で物理的には伝道活動できないヨハネの霊界活動の所産と言える。するとシカゴの天気が悪くてもいいことも起こるかもしれない。そう思って物理的にも時間的にも限られた11月の日々を耐えるほかなさそうである。