「生きていてよかった」

 昨年の11月17日(金)に脳出血で1か月入院した。2週間も集中治療室に入っていたのだからずいぶんの重症であった。危うくあの世に引っ越すことになりそうだった。暗い病室のベッドの上で、天国へ行ってイエス様に会ったらどう報告しようかとばかり考えていた。頭脳もよく動かなかった。「申し訳ございません、役に立たないしもべでした」と言うほかないと思った。神様のご計画なのか、病院から解放されたばかりか、後遺症はほとんどなく、神様の哀れみと人々の善意で生き残ることができた。一時的に禁止されてしまった車の運転も5月には取り返すことができた。今住んでいるシカゴの郊外の環境で車が運転できないことはただ不便なだけではなく、自由が大幅に制限されフラストレーションがたまるのである。自分のことを自分でやれることはすばらしい。

 7月には5年ぶりで日本を訪問し、多くの知人友人に会うことができた。恵子(妻)と娘の真理子と北海道まで足を伸ばすことができた。そればかりかこの秋には日本からのお客さんが次々とシカゴを訪問され、拙宅にも来てくださったのである。その中で「あなたのメッセージを聞きたくなったのでシカゴに行きます」と予告して本当に来て下さった方には驚いた。なぜなら私は牧師なのに説教に自信がないからだ。ムーデー神学校放送でしばしば英語の牧師たちの説教を聞くが、彼らはとても良い声を持っているし、英語の説教は歯切れがいい。何よりも背が高い。ビリーグラハムは6フィート2インチ(185センチ)と記録されている。マスクもハンサムである牧師が多い。テキサス州のオースチン牧師がスマイルすると巨額の献金が集まる。千両役者を越える。しかし2コリント10章によると「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会ったばあいの彼は弱々しく、その話しぶりはなっていない」とある。神様は「いろいろなタイプの説教者がいるぞ、ヨシトよ、がっかりしなさんな」と私を慰めてくださる。それにしても20年も経っているのに私の貧しい説教を聞きに来てくれた方は神様からの慰めの使者に違いない。感激であり、励まされた。

 さらに10月には94才の国際結婚の未亡人の葬儀を引き受け、執行した。8月から振り返るとすべて日本人関係のミニストリーであり、神様が用いてくださったことを覚え、ただ感謝するほかなかった。あの時死んでいたら地上では何もできなかった。イエスさまのために多少なりとも役にたったと言えるかもしれない。生きていて良かった、生かされていて良かった。死の世界から呼び戻してくれた神様と人々に心から感謝している。